車谷長吉全集 第二巻 長篇小説集 句集/恋文絵/補遺

今年の５月１７日、私小説作家である車谷長吉氏の突然の訃音に接したとき、私は驚きを禁じ得なかった。平成１６年、「刑務所の裏」「ぼんくら」が名誉毀損の廉で告訴されると翌年にはさっさと「私小説作家廃業宣言」を発表し、以後は史伝や随筆を書くに留めた。その車谷氏が６５歳にして全集三巻を上板したのにも少し驚いた。作品のほとんどは文春文庫や新潮文庫で読んではいた。特に短篇、中篇によい作品が集中していると思うた。第一巻・小説（短篇・中篇）はどれをとっても車谷さんでなければ書けぬ「虚実皮膜の間」に立たしめている小説群がずば抜けている。第二巻は、自伝的編年体で組まれた「贋世捨人」が彼の境涯の本質を余すこと無く伝える書であり、この作品には感読してしまう。そして白眉は恋文絵が９６点収められている。これは車谷さんが１８歳のとき東京で知り合い思い続けていたある女性に書き送った絵入り葉書である。姫路文学館の竹廣学芸員がその女性の所在を確かめ、うち女性の手元には大事に７１通の絵手紙が残っていた。奇蹟である。車谷さんが３４歳のときこの女性に毎晩一通ずつ連続して９９通、恋文絵を描き送っていた。この時、車谷氏は料理場の下働きとして京阪神を転々と「漂流物」として漂白していた渦中であった。わいは世捨人や、一生下働きでええ、と思うていた時期である。恋文絵を読むと虚飾のない、研ぎ澄まされた魂に触れる思いが痛烈にするのであった。第三巻の栞には「全集は今回配本の第三巻をもちまして完結いたします。なお、著者の強い意向により、第四巻は著者没後に小社より続刊されることを付記します。」とある。私はこの全集三巻を新中古品として若干安く買うたのだけれど、買ってよかったなと思うている。 葱坊主阿呆な男に似てゐたり（長吉）